7月になりました!
2021年、今日から後半戦スタートです。
1年の折り返しである6月、
6月は母の命日があるので、私にとっては1年で一番、魂やご縁を感じる月、
母を身近に感じる月でもあります。
母を看取った時、私は25歳でした。
それから25年、
母とこの世で生きた年月と、
母亡き後、生きてきた年月とが
同じになりました。
早いものです。
先日の母の命日に、
母の好きだった物をお供えしようと思ったのだけれど、
ふと、「お母さんの好きだったおかずって、何だったのだろう?」
甘い物、どら焼きとか、あんこ系が好きだったことは覚えているけど、
好きなおかずは何だったのだろう?
全く思い出せない。
子供の頃、今思えば、家計は本当に苦しかったんだと思う。
家族で外食に行くなんて、ほとんどなかったし、
ありとあらゆる物を母は手作りしていた。
そんな母は、私が16歳の時に、難病を発症、その後、手足の指先の変形が進み、自力での歩行は困難になって
台所に立つことができなくなった母。
今、思い出したけど、16歳の誕生日に作ってくれたちらし寿司が、母が作ってくれた最後のお祝い料理だったかもしれないなあ・・
母自身が好きなおかずって、好きなメニューって何だったのか・・・?
それが、25年の月日の長さなのかと思いました。
お母さんが好きなご飯、一緒に食べに行きたかったな・・・。
いろんなお店に食べに行きたかったな~、連れて行ってあげたかった。
もっと一緒に食事をしたかったな・・・、お母さんが好きなメニューがわかるくらい。
しみじみ思いました。
とりあえず、小豆系のものを・・・
姉曰く、「お母さん、ポテチも好きだったよー」ということなので、
カルビーのポテチもお供え。
なんでもいいから、せっちゃんの手作りの料理、お供えしてー
って声が聞こえてきそうな・・・笑笑
そういえば、母は亡くなる3,4日前、
意識が混濁する中で、
鉛筆を持って、殴り書きしながら、最期の言葉をかけてくれていました。
その中に、
「せっちゃんのおりょうり、おいしいね」
と、ミミズが這ったような文字が綴られていた。
主婦業を20年近くやってきた今だって、料理の味については、微妙だとは思うけど、
25年前の私が作る料理なんて、本当に安かろう、まずかろうレベルだったはずなのに・・・
そんなことも今、思い出しました。
供養の6月、いつもより母を近くで感じます。
これから、娘とたくさん食事を共にしよう!
私の好きなもの、記憶に残しておいてもらわなくちゃ!
お母さん、お母さんがいなくなってから、25年が過ぎたけど、
忘れないからね!
これからは、私がどんどんお母さんに近づいて、
そして、もうすぐ、お母さんを追い抜くよ。
幸せでいるからね、安心してね!
感謝☆