のっけから、ヨガヨガっぽいタイトルですが、
私がなぜヨガ講師となって、教室を開いているのか、改めて考える出来事がありました。
その前に・・・
私はヨガは好きだけど、黙々と練習するのは好きではありません笑笑
毎日朝早く起きて、1時間はみっちりヨガの練習をするというヨガ講師の方々が多いと思う。
私もそんな生活をしなければならないと、強迫的に思っていたこともあったし、できない自分はヨガ講師として失格だ!と、自分を追い詰めていたときもありました。
ヨガ講師たるもの、ヨガ哲学を浸透させた生き方をしなくては!!と、こんなへなちょこな私なりに、マジメに哲学に取り組んだ日々もありました。
図書館で、哲学本ばかり借りてきて、でも、積ん読のまま、返却期間の2週間がすぎる~の繰り返し笑笑
飽きっぽい三碧木星がもろに出ています笑笑
そんな私だけど、なぜか、私の周りには、「人生そのものがヨガに通じる」生き方を見せてくれた人が多い。
母であり、父であり、心友であり、先日亡くなった叔母であり・・・。
近しい人の死を見届けることは、その人の生きてきた人生に触れることでもあって、その人に関わった人達の考えとか、思いとかもにも触れることになる。その思考は、その時の私には持ち合わせていない思考もあって、なんというか、自分が正義だと信じていたものがひっくり返される、自分のエゴに気付かされることがあります。
幼いセツコちゃんは、すごく人見知りで、引っ込み思案な女の子であったと自覚しているのですが、小学生高学年の頃から、正義感の塊みたいなセツコに変わっていきます。掃除の時にサボっている男子を見たら、箒を持って追いかけるみたいな・・・笑笑
その正義感は、大人はこうあるべき!という正義(エゴとも言う)に変わっていく。先生にも反抗したし、父にも幻滅したし、母にも裏切られた気持ちを持つようになった。
生きることに必死だった両親を、ようやく理解できるようになったのは、実はここ最近です。50代になってから・・・、娘を県外へ送り出してから・・・。
そして、改めて、二人とも、「生きること」を見せてくれたのだなあ・・・と思えて、これはすごいギフトだなと感謝でいっぱいです。なぜ、こんなにもギフトになるのかと言えば、それが、ヨガ講師としての私に繋がっているからなのです♡
哲学本を読んでも、なかなか頭に入っていかない私ですが(すぐに眠くなる・・・笑笑)、近しい人が見せてくれた生き方は、私の脳内の本棚に「哲学書」ジャンルでストックされている。
先日、亡くなった叔母の人生もそう。父の妹であり、私にとっても、最も近しい叔母の一人。小さい頃から見てきた叔母だけど、大人になるにつれ、叔母の生き方には賛同できないことが多くなって、いとこ達もみんな家庭を持って、それぞれになり、私の中では、「ちょっと困った叔母さん」になっていきました。
叔母がいつも頼る(金銭面で)のが父、父も最期まで妹のことを心配していたけど、私は、父が亡くなってからは、「困った叔母さん」とは距離を取ってしまいました。
そんな叔母が亡くなったと知らせを受けたのは、なんと、父が亡くなって5年後の同じ日。県外に住んでいる娘二人と、困ったことをしでかす母親と隣の家でずっと住んできた息子、3人で協力し合いながら、介護をしてきたと聞き、叔母を含め、叔父、そして、いとこ達の人生が新たに哲学書ストックになりました。
母も父も、心友も叔母も叔父も、「生きること」を見せてくれた。「生ある限り、生きること」
楽しいこと、嬉しいこと、ワクワクしたこともあるし、辛いこと、泣いたこと、絶望したこと、食いしばったこともある、全部人生。それを生ききる。
50才になって、集ってもらえる自分の場所ができて、日々の氣付き(ぼやきとも言います・・・笑笑)をお伝えすることができて、逆に、皆さんから、氣付きをいただくこともできて、これが私のヨガ講師としての在り方なのだと思います。
心は変化するので、この心持ちでずっとはいかないかもしれないけれど、今は、心の波は平穏です♡
あれ?タイトルと違うか?汗 ヨガ講師としてゆくべき道に繋がっていた、そんな感じでしょうか?汗笑笑
人は変えられない。苦手な人が近くにいたら、自分の氣を整えてあげればいい。
「氣」を整える場所として、チャーパヨガスタジオは、2024年、辰、陽気に昇っていきますよ~!
みんな、集まってきてください笑笑
3月スケジュール、HPで公開しております!ご覧下さいね!
感謝♡