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チャーパヨガ ミヤシタセツコです♡
今朝も氷点下の朝、1年で最も寒い季節、朝、布団から出るのに勇気が必要な日々でございます。毛皮をまとっているフワフワシスターズも全く起きません・・・笑笑
そんな凍てつく本日、1月26日は父の命日でした。
2019年の1月でしたので、5回目の命日です。
実は・・・
なんと・・・
まさかの・・・
忘れておりました!!!笑笑
自宅には、両親の写真を飾ったちょっとした神頼みコーナーを作ってあり(神棚ではない、神頼み!笑笑)、
毎朝、お水とお線香をお供えして手を合わせるのですが、もちろん、今日もフツーに手を合わせて、
「今日もよろしくねー!いってきます♪」
と家を出て・・・
何気なく見たスマホの画面に、
「あれから1年」Google先生からのお知らせが・・・
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
先週まで、確かに覚えていたのにな~汗汗汗
Google先生、ありがとう~笑笑
母の命日は、もう体に染みついているのか、絶対に忘れないのに、父の命日って前日まで覚えていても、当日、フツーに忘れちゃう笑(ひどい・・・笑笑)
懺悔の思いも込めて、父の思い出を少し・・・笑笑
在りし日の父、懐かしや~
ごちゃごちゃのテーブル・・・笑笑 食べ尽くした後ですな。こうして、週末、だいたい日曜日の夜、一人暮らしの父と夕飯を共にしていました。娘が、「今夜、ご飯に行くね~」父に電話をすると(携帯ではありませんよ~、家電話です!)、「はーい、待ってるね~」と白いご飯を炊いて待っていてくれました。おかずは私作って作って持っていってましたが、父が作ってあるおかずをつまむことも多く、この日は何だったのか・・・残骸がひどすぎる苦笑
そして、食べ終わると、急須でお茶を煎れてくれました。そのせいか、娘は一人暮らしをしている今も、一人で煎茶を飲む習慣があるそう(シブイ・・・)
私が片付けている間、じじVS孫娘でオセロ対決、その後、私が入って、ババ抜きトランプ大会。必ずババを引き当ててくれるじじ。お約束でした~、あ~懐かしや♡
壁に貼ってある、時系列バラバラの孫達の写真も懐かしい~。プリントした写真を拡大カラーコピーをして貼り付けておりましたな~。コチラのお部屋は、今、ヨガを行っているスタジオに変貌しております♡ 飾ってあった写真のコピー達も大切に保管しています。私があちらへ逝く時にお棺に入れてもらう予定です(^^)
娘が生まれてから、亡くなるまで14年、一緒に暮らすことはなくても、夕ご飯を共にした思い出は、父にとっても、娘にとっても、本当に良い時間でした。父の娘(孫娘)への最期の言葉は、病床のベットから
「そらちゃん、いつもご飯を食べに来てくれてありがとう。そらちゃんとのご飯、楽しかった」
でした。それを聞いた娘は、目から大粒の涙をボロボロこぼし、その涙の一粒が父の手の甲に落ち、その涙を父はペロってなめました。そして、
「そらちゃんの涙、美味しいね。そらちゃん、いい子だね、ありがとね」
これが、最期の言葉でした。孫娘である娘のことをいつも全肯定してくれた父、
「じじはなにしてもおこらない~、なにしても、そらちゃん、えらいね~、すごいね~ってほめてくれる♡」
例えば、オセロ対決の時、
「じじは黒で、ソラが白ね!角っこ4つに白おいてから、スタートね!」(←謎のルール笑笑)
そんな鬼オセロ笑笑でも、ちゃんと対決して、負けると、「そらちゃん、すごいね~」ってほめてもらってた笑笑
でも、何をしても全肯定してもらった経験は、娘にとってかけがえのない財産になっています。ちょっとうらやましい・・・笑笑
生前、父は娘にも私にも、○○賞って書いて、賞金(お小遣い?)を渡してくれました。
「よく来てくれてありがとう賞」(←未だ、賞金は使えません)
私の結婚と同時に一人暮らしになった父、日曜日の夜くらい、一緒にご飯を食べてあげたいなあと通った日々。
疲れちゃう時もあって、今日は行くのやめちゃおうかな~と思った日も何度もあった。でも、そんなとき、娘が
「じじ、待ってるよ、両島、行こうよ~」って行ってくれて・・・
ちびまる子ちゃんを見ながら、ご飯食べて、オセロして、ババ抜きして、じゃ~ね~、また来週ね~って、車に乗り込む私達を見送る父の姿は今も目に焼き付いている。
あの時間があったから、今、こうして、清々しい気持ちで父と向き合えているなあと思います。いつも近くで応援してくれていると感じる。だから、ついつい、忘れちゃった~命日!!笑笑
あの寒かった夜からもう5年、早いな~、
お父さん、今の私を多分、全肯定で応援してくれているよね!
まだまだがんばるよ~、ありがとう!感謝!
合掌